ぜにぞうのプロフィール

ぜにぞうは、妻、娘、ワンコ2匹と東京都内に暮らす50代のオッサンで、
もう少し付け加えると、こんな感じの人間です↓

 

仕事

大手貸金業者に25年間勤務していましたが、47歳のときリストラで早期退職。以降、ネットビジネスの仕事をしています

趣味

ワンコ2匹とまったり!あとはほぼ1日中、パソコンに向かっています。アニメ、アニソン(子供の影響、笑)、スポーツTV観戦、冒険もの、ドキュメンタリー、図工的なものにはまりやすい、小〜高校まで野球部。大学では合気道を少々

好物

甘いもの命(特にあんこ)、ラーメン、生姜焼き、カレー、アイスクリーム(ミニストップ・サーティーワン)、バナナ、お茶漬け、ピーナッツ

性格

アホがつくくらいのプラス思考。比較的温厚、でも怒るとヤバイ?かも(笑)。思ったらすぐ行動しないと気が済まない。先代のワンコを亡くしてから涙もろくなりました。人生に深みが出てきたのだと思います(笑)

 

 

どうして「ぜにぞう」なのかと言うと

銭(お金)を貯えておく蔵のことを「銭蔵(ぜにぐら)」というのですが、
そんな立派な蔵を持てられたら、ホント最高だろうな!という憧れからです。

 

「ぜにぐら」だとあまりにもストレート過ぎるので、「ぜにぞう」になったというわけです。
ものすごくしょうもないです、、笑

 

ぜにぞうが持ってる主な資格

冒頭でお話した通り、何を隠そう、実は、元貸金業者の社員です。
しかも、勤続25年の筋金入り(笑)

 

47歳のときリストラで、勤続25年の節目で早期退職しましたが、
在職中に国家資格である貸金業務取扱主任者をはじめとして、
さまざまな資格の認定、合格、講座終了の認定を受けました。

 

貸金業務取扱主任者(国家資格)
クレジット審査業務能力検定
クレジット債権管理士資格
個人情報取扱主任者

 

貸金業務取扱主任者 登録完了通知書
(平成22年4月)

貸金業務取扱主任者 登録証

貸金業務取扱主任者資格試験対策講座 修了証書
(平成21年4月)

貸金業務取扱主任者資格試験対策講座 修了証書


 

貸金業務取扱主任者資格試験対策講座 優秀賞
(平成21年4月)

貸金業務取扱主任者資格試験対策講座 優秀賞
クレジット債権管理士資格 認定証
(平成6年12月)

クレジット債権管理士資格認定証

貸金業法に基づく研修 修了証書
(昭和63年10月)

貸金業法に基づく研修修了証書


 

クレジット審査業務能力検定 合格証
(平成7年3月)

クレジット審査業務能力検定合格証

個人情報取扱主任者 認定証
(平成19年3月)

個人情報取扱主任者 認定証


 


 

 

正直なところ、業務上、資格を取らざるを得なかったので、
当時は本当にイヤイヤ勉強しました(笑)。
でも、このサイトの運営に役立ったので良かったです。

 

小学生の時にはすでにりっぱな労働者

今思うと、自分のことながらよくやったな、と思うのですが、
小さい頃から大人が顔負けするくらい働いていました。
カッコよく言うとそんな感じですが、早い話、貧しい家でした(笑)

 

小学校高学年のとき、朝刊の新聞配達を2年間やったのが始まりです。

 

朝5時に起きて、家の近くにある屋根付きのバス停へ直行。
そこで新聞にチラシをはさみ込む作業を自分でした後、確か100軒くらい配達するのですが、
天候が悪い日は本当に大変でした。

 

自転車の荷台にぶら下げた、お手製のカゴに新聞を入れて配達するのですが、
雨が降ると、いくら気を付けていても新聞がぬれるんですよね。
田舎では珍しい日本経済新聞を読んでいる家があったのですが、
そこのオヤジにめちゃくちゃ怒られるので、ホント怖かったです。

 

雪の多い寒い田舎だったので、冬はもっときつくて、
首に巻いたマフラーに吐く息が凍るのは当たり前、
指が凍傷寸前かと思うくらいキンキンに冷えて感覚がなくなるのでブレーキを引けない。
もう吹雪の日などは、まるで八甲田雪中行軍みたいな心境になったこともありますね。

 

そんな苦労をしても月の収入は、はっきり覚えていないんですが1万円に届かないわずかなもの。
家に全額入れていたので、もちろん自分の懐には入りませんが、
当時はそういうものだと思っていたので、不満とか不幸とかなにも感じていませんでした。

 

あっ、そうそう、元旦にお年玉をくれる配達先のおばちゃんがいたのですが、
それはちゃっかり懐に入れていました(笑)。500円くらいだったと思いますが大金です。

 

おやつのない家だったので、そのお金を使えばいいのですが、使うのはもったいない。
貯めたお金は屋根裏に隠して、使うことはなかったです。

 

おやつといえば、味噌汁ぶっかけご飯か、味噌をつけた焼きおにぎりが定番、
もちろん自分で作るんですよ。笑
年に1回、家に箱売りのリンゴとかミカンが届く時期があるのですが、そんなときは超ラッキー。

 

お菓子なんてものはぜいたく品、日頃食べられないので、
食べたくなったら、友達の家に遊びに行くのが鉄板でした。笑

 

 

中学では電話線コードを巻くアルバイト。受話器と電話機をつなぐねじねじのアレです。
作った本数分のお金をもらえたのですが、
1本作って5円くらいだったので、頑張っても知れたもの、月に数千円でしたね。

 

車のアクセルみたいな踏み込み版を足で操作してモーターを回し、
その動力で電話線をらせん状に巻き付けるのですが、
一瞬なので下手をすると指を巻き込んでしまうんです。

 

そんな危険な仕事、今の時代だったら世の中が許しませんが、、
でも結構面白くて、腕前は職人の域にありました。笑

 

高校は3年生まで野球をやっていたので、アルバイトはできませんでしたが、
甲子園県大会で敗退した夏以降は、もちろん労働復帰したのは言うまでもありません。

 

大学は仕送りがなかったものの、社会人以上の高給取りに。

大学に入学したものの仕送りがなかったので、日本育英会の奨学金給付を申請。
でも、食費にもならない金額だったので、寿司屋のバイトに明け暮れました。
奨学金をいっさい手を付けなかったことが、後々役に立ちました。

 

朝起きたら大学のことよりもバイトのことを考えるような毎日で、
16時から23時くらいまでを週5日勤務で働いていました。

 

家賃2万円の風呂なしアパートだったので入浴が問題で、
バイトが終わって帰ると、銭湯が閉まる時間に間に合わないことがしょっちゅう。
なので、夜は周囲に明かりがないことをいいことに、玄関前でバケツにためたお湯を頭からかぶる、
なんてこともひそかにしていました。

 

魚に囲まれるバイトなので、しみついた魚臭さをとらないわけにはいきませんから。
夏なんかは一日お風呂に入らないと、結構やばいことになってました。汗

 

そんな生活でしたが、当時は時給780円で高い方だったので、
軽ーく、新卒初任給を超える収入になってました。
年末年始なんかは、帰省もせず働きづめだったので、30万円超えましたね。

 

バイトでそれだけ稼げていたので、正直なところ学生時代はお金に困ることはありませんでした。

 

ただ、大学卒業後から徐々に雲行きが怪しくなっていきます。

 

結婚。新居は築20年のボロボロの家

大学卒業と同時に就職し、社会人3年目の26歳で結婚。

 

結婚式の費用を、大学の時にためたバイト代と、使わずにいた奨学金で何とかまかないましたが、
その時点で手持ち資金はゼロ。

 

結婚後の準備に回せるお金がなく、新居は築20年は経っているであろう古い公団住宅に。
公団住宅は今のUR賃貸住宅ですね。

 

古いだけならまだしも、内装や設備がなんとも個性的。
便器のフタなし、そしてなぜか便座の色が真っ黒、便器が白で便座が黒ですよ!
奇妙じゃないですか?白黒のツートンカラーって。

 

さらに、お湯は風呂桶の脇についている手動式のハンドルで着火と古風。
しかもお風呂にシャワーなし。
新婚カップルの新居としては最悪ですよね?でも、当時は安けりゃOKの気持ちしかなかったです。

 

同時期に同僚が近所に同じ家賃で新築アパートに入居する話を聞いても、
頑固だった私は聞く耳をもたず、一方的に公団住宅入居を決めてしまいました。

 

今思うとホントに妻にはかわいそうなことをしたと思います。
お金がないのと、若いことも手伝って、大きな失敗でした。

 

新婚旅行から帰るまで入籍できなかった事件

とうぜん、お金がないことは新婚旅行にも影を落としました。
私が手配したのは〇韓航空機で行く、韓国経由のハワイ旅行4泊6日でした。

 

当時は新婚旅行といえばJALで行くのがステイタスだったので、
私が〇韓航空を使ったのは異例中の異例。
新婚旅行にも行けないカップルに比べれば幸せなんですが、
そうはいっても、妻はかなりショックを受けていたようです。

 

「お金がない中で頑張っている」と私を暖かく見守ってくれていた義母。
質素な結婚式や新婚にはふさわしくない新居にも、黙ってなにも言わなかったのですが、
その旅行プランにはびっくりしていたようで、唯一お願いされたことがあるんです。

 

「入籍は新婚旅行から帰ってからにして!」と。

 

私は当時、何も疑問に思わず首を縦に振ったのですが、深〜いワケがありました。

 

新婚旅行へ行ったのが1988年。
実はその前年に〇韓航空機爆破事件があったんですね。

 

新婚旅行に行くのに、事故があったばかりの航空機を使いますか、ということです。
ハネムーンですよ。ほんと私はバカですよね。

 

でも、仕方ないんです。お金なかったんで。
ワケありであろうが、旅行代が安く済むのならそれでよかったわけです。
ちょっとキズがついた高級マンゴーとか、端切れの高級カステラと同じで、
実質中身が同じで安いのなら、それを選ばない理由がありませんでした。

 

でも、義母としては、口には出しませんでしたが、万一のケース、
つまり、飛行機が落ちたときに骨を拾うことまで考えていたようです。後から分かったのですけどね。

 

その時に戸籍が変わってしまっていたら、親として娘の骨を拾ってあげられない。
なんとしても自分の手で娘の骨を拾ってあげたかった。
だから、入籍はしないで渡航してほしいということだったんです。笑

 

無事に帰国して入籍したので、義母はほっと安心したようですが、
妻は別の問題で帰国するまで不満タラタラでした。

 

それもそのはず、ハワイでの滞在はホテルではなくコンドミニアムでしたから。(苦笑)
オシャレなホテルの興奮もなければ、豪華レストランの食事もなかったですから。
食事は自炊(汗)。そりゃ怒るのも当然です。

 

まー、お金がないとこんなものです。
今思うと、お金がないなりに、もう少し工夫ができたはずと後悔の念が絶えません。

 

結婚後の生活は妻の持参金におんぶにだっこ状態

結婚した当時は、手取り13万円で家賃8万円、
会社の家賃補助がなかったので生活費は5万円、
切り詰めて生活していましたが、すぐ娘が生まれたのでかなりきつかったです。

 

オムツは昔ながらの布の使いまわし、紙オムツは非常時だけ。
妻が母乳が出なかったので、粉ミルクは30%割引以上じゃないと買わない、
みたいなことは当たり前でした。

 

ただ、生活費5万円じゃ光熱費払うとほとんど残らないんですよね。
実質、妻が嫁入りしたときの持参金のおかげでなんとかなっていました。

 

独身時代に19万円で買った中古車のトヨタ・マークU、ラジエータからしょっちゅう水蒸気が噴射、
ペットボトルの水を常備しないといけないことに我慢の限界がきて、
新車を買ったのも妻のお金。

 

娘のためにと、だまされたと思って訪問販売で買った〇ータル養育セット20数万円も、
妻の持参金で購入。

 

大学時代に支給された奨学金の返済も、妻の財布から支払いしていた状態でしたから
最悪ですよね。汗

 

当時タバコは吸っていましたが、酒やギャンブルは無縁、趣味もなく余計な出費はなかったので、
浪費癖があったわけではないですよ。単純に収入が少なかっただけのことです。

 

大手貸金業会社に勤務、お金の表の世界も裏の世界も知る

大学新卒で幸運にも大手貸金業会社に入社。
47歳で退職するまでの在籍25年間でキャッシングやローンの企画・販促の仕事をはじめ、
営業やお客さんの代金回収まであらゆる仕事を経験しました。

 

その中には、キャッシング代金を返済できないお客さんを相手にする
督促・回収の仕事も、もちろん含まれています。

 

貸金業者って面白いもので、融資の営業を強化すると必ずと言っていいほど、
半年から1年くらい後になると、延滞(返済不能のこと)が多くなって
債権回収業務が忙しくなるんです。

 

まあ、情けない話なのですが、融資の営業強化に走り回っていた社員を、
今度はお客さんに返済をうながす回収業務の応援に出すようなこともありました。
「自分でまいた種を自分で刈り取る」ような感じですね。

 

そんな仕事にも広く関わっていたので、
延滞することなく賢く使い続けている人(こういう人がある意味、
貸金業者にとって一番良いお客さんなのです)もいれば、
支払いの約束を何度も破って返済してくれないお客さんなど、
表の世界も裏の世界も見ることができました。

 

なので、キャッシングやカードローンでお金を借りる人の気持ちや、
返済できなくなってしまった人の生々しい事情なども、
身を持って知ることができました。

 

「でも、お金を借りる人の気持ちが分かるっていったって、
そういうあんたはどうせキャッシングなんてしたことないんでしょ?お金を貸す側の人だし、、、」

 

と言われるかもしれませんが、いえいえ、とんでもないです!

 

お金を貸す側なのに、キャッシング常習だった(笑)

貸金業の会社に勤務しているというと、たまにこんなことを言われることがありました。
「貸金業の社員なら、キャッシングなんてしないでしょ?」

 

この言葉の裏には、きっと、キャッシングやローンでお金を借りることに
ネガティブなイメージ、もっとハッキリ言ってしまうと、
「お金を借りることは悪!」という先入観念があるんだと思います。

 

なので、お金を貸す側にいる貸金業者の社員は
キャッシングなんてするはずない、というイメージが多分あるんだと思います。

 

でも、それは全くの筋違いで、貸金業者の社員だってキャッシングは常習的に使います。
少なくとも、私は「キャッシングなくして今はない」と言えるくらいお世話になりました。(笑)

 

自分でもその使いっぷりは男気を感じるほどで(笑)、
キャッシング代金を返済するためにキャッシングする
ということも何年間も当たり前のように繰り返していました。

 

会社では、こういう使い方を「キャッシングころがし」と呼んで、
貸し倒れリスクが高い要注意のお客さんとしてマークしていました。
でもその一方で、きっちり返済してくれれば最も会社の利益に貢献してくれる
お客さんということもでき、まさにその役を自分が演じていました。

 

でも、今だから言えますが、自分の会社のキャッシング返済を延滞して、
債権管理部門の幹部社員から督促の電話をもらったこともあります。
会社の内線電話でこっそりとね、、、

 

その時のことを思い出すと、背筋がぞっとしますね。
身内ともいえる勤務先の人間に白い目で見られている感覚はたまらないものです。
正直、お客さんの気持ちが身を持って分かった瞬間でした(汗

 

住宅ローンと教育資金で借金漬け

借金で首を絞める原因は人それぞれですが、
私の場合は、住宅ローンと教育資金が大きな要因でした。

 

結婚してからというもの、ぜいたく品や娯楽の出費はほぼゼロ。
高級車を買うこともなければ、妻にヴィトンのバッグを買ってあげることもなく、
家族旅行なんか一度もありません。

 

あえて言うとしたら、東京に単身赴任中の夏休みに家族を呼んで、
東京ディズニーランドに行ったくらいですね。
もちろん、ホテル宿泊などしませんよ。
というかそんな余裕ないので、宿泊は狭くて汚い私の単身住居。笑

 

今振り返ると、清水の舞台から飛び降りる思いで一戸建てを購入したのが、
お金に苦労する始まりです。
田舎の物件とは言っても、30代前半の若造のサラリーマンが買うには、
返済楽勝などという新築一戸建てなどありませんから。

 

案の定、当時の私の年収だと住宅ローンを組めないので、
義母の収入を合算して、なんとか審査を通した感じです。
その一戸建てを購入して2か月後に、東京に単身赴任になったのはめちゃ笑えます(爆笑)

 

ローン返済は月々が月給の約半分。ボーナス併用返済だったのでボーナスのほぼ全額が
住宅ローンの返済で消えてしまう始末。

 

ボーナスで家計の赤字を消すことができなかったのが、キャッシングに手を出したきっかけになり、
その後は返済するためにキャッシングをするサイクルの出来上がり。

 

それでも、不思議と最低限の暮らしはできていましたが、
追い打ちをかけたのが娘の教育資金。

 

バカ親の一人としては、少しでも偏差値の高い大学に行かせてあげたいじゃないですか。
娘の高3の夏から受験までの半年間、塾費用にめちゃくちゃ投資しました。

 

当時もキャッシングを返済するためにキャッシングするスパイラルは続いていたので、
そんな状態で100万円を超える投資は、普通に考えると自〇行為です。
でも、あまり迷うことなく決断しましたね。ほんと無謀な人間です。笑

 

勤務先が貸金業者だったこともあり、社員向けの低利融資制度が充実していて、
それを利用することでお金を調達できました。
会社が救世主になりましたが、その一方で、
会社を辞めたくても辞められない、首根っこをつかまれた状況になったわけでもあります。

 

借金地獄から解放された要因がリストラ

私は、貸金業者からの借金は2社、それ以外は勤務先からのものでした。

 

金額ベースでいうと借金のほとんどが勤務先の会社なので、
一般の業者に借りるよりは、精神的なストレスは少なかったですね。

 

ただ、なんやかんやで会社からの借金はMAX200万円でしたね。
他社からの借り入れが20万円、それと実質の借金ではないですが、
保険の契約者貸付制度も使って約300万円借りていたので、
合計で520万円の借入残高でした。

 

住宅ローン残高は別ですよ。それ加えたら怖すぎます。。。笑

 

で、なぜ借金から逃れられたかといったら、リストラに他なりません。
会社都合のリストラだったので、退職金の割り増しがあったんです。

 

40代後半といったら、会社の中で最も年収が高いゾーンなので、
そのゾーンに照準を合わせて、会社がかなりの好条件を出したわけです。
私は47歳でターゲットとしてはど真ん中。笑

 

ということで、割増退職金で会社からの借金、その他住宅ローンを除いて
他の借金を完済できて今がある、というわけです。

 

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